メインイメージ メインイメージ
※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

ローヤルゼリーの歴史

蜂と人とは太古からの付き合いがあり、紀元前6000年頃に書かれた壁画には、壺を持った人と蜂の巣、さらにはその周囲を飛び交う蜂の絵が残されています。
一方、日本でローヤルゼリーへの関心が高まりはじめたのは1960年頃、今から約60年前のことでした。
ではその間、ローヤルゼリーはどのような歴史を歩んできたのでしょうか。

ローヤルゼリーの歴史

紀元前

ローヤルゼリーはハチミツとは違い、女王が育つ王台のみに蓄えられる貴重な物質で、一つの巣から採れる量はわずかです。
しかし、そのローヤルゼリーは約2400年前の、紀元前300年代にはすでに発見されていたと考えられています。

当時、古代ローマの哲学者であったアリストレテスが著した「動物誌」に、「濃厚なハチミツに似た淡黄色の柔らかいもの」と、ローヤルゼリーと見られる物質の記述が残されているのです。
アリストテレスは王台から女王蜂が誕生することは知っていましたが、当時はローヤルゼリーが固まって女王蜂になると考えられており、ローヤルゼリー本来の役割や、名前すらもまだありませんでした。

そのため、その頃はまだローヤルゼリーは人々にとって全く価値のないものだったのです。

ローヤルゼリーの発見と開発

ローヤルゼリー本来の役割が発見されたのは1730年代です。
オランダの研究者であったスワンメルダムがローヤルゼリーについての研究を始めたのです。
このときスワンメルダムは、ローヤルゼリーを「唾液蜜」と呼んでいたことからも、その価値が見いだされ始めたといえるでしょう。

そして、ローヤルゼリーに今の名称がつけられたのは約200年前頃であったと見られています。
1972年、スイスのミツバチ研究者であるフランソワ・ユベールが著した「ミツバチに関する新たな研究結果」内で、王が食べるゼリーを意味する「ゼレー・ロワイヤル」と表現されています。

その後、1800年代にはローヤルゼリーの健康効果に注目が集まり、商品化されています。当時は「奇跡の霊薬」「魔法の液」などと呼ばれ人気となっていました。

さらに、ローヤルゼリーは薬としても注目を用いられるようになります。
1952年ローヤルゼリーを原料にした薬「アビゼールム」が開発され、治験を重ねたのち1954年から薬として使用されるようになったのです。

ローヤルゼリーとローマ教皇

これまでヨーロッパを中心に研究や開発が進められてきたローヤルゼリーでしたが、世界的な注目を集める出来事が起こります。

1950年代、当時のローマ教皇が病に倒れ、最新治療でも病状が回復せず、危篤状態に陥りました。
しかし、ローヤルゼリーを投与したところ病状が好転し、体調もみるみる回復したのです。

このことがローマで行われた1955年国際医学会で博士らによって発表され、さらにローマで行われた1958年国際養蜂会議でローマ教皇自らスピーチを行い、ミツバチをたたえたことから世界的にローヤルゼリーが注目されるようになりました。

日本におけるローヤルゼリーの歴史

日本に残る文献で、初めてローヤルゼリーについて書かれたとみられているのは、1889年農学者であった玉利喜造が著した「養蜂改良説」です。
その中で「王家の舐物」の記述があります。

現在、日本ではローヤルゼリーを別名で王乳と呼ぶことがあります。
これは女王蜂の幼虫を育てる母乳のようなものであることを意味しています。
1913年、徳田義信博士が著した「蜂蜜」ではすでに「王乳」の記述が残されています。

ちなみに、日本で人工王台を使ったローヤルゼリーの計画的採取の取り組みが始まったのは、1957年のことでした。
ただし、この頃の日本ではまだローヤルゼリーの認知度は低くありました。

日本国内でローヤルゼリーを有名にしたのが、前述したローマ教皇に関する出来事です。
ローヤルゼリーを世界的に有名にした出来事は日本でも「不老不死の新薬か」と週刊誌の記事に扱われ、一躍注目を集めることになったのです。

ヨーロッパに比べると、日本におけるローヤルゼリーの歴史は浅いです。
しかし、さまざまな研究や商品開発が進み、日本でもすっかりお馴染みの健康食品となっています。

関連コラム一覧